鍼灸師は何を社会に提供するのか~もの売りからこと売りへ~

更新日:2020/09/17

第2回:「もの」にしかできないことは何か?

20200917

 前回の記事で、日本鍼灸業界が「もの売り」でい続けるのか「こと売り」に変わるべきなのかを問う必要があるとお話しました。今回は鍼灸における「もの」の部分をもう少し深掘りし、「もの」にしかできないことは何かを考えてみたいと思います。「もの」から「こと」へと変化が進んでいる時代にあって、「もの」を考えることは古いイメージもあるかもしれませんが、「もの」があるということは「Aと言えばB」というように、みんなが同じように認知するようになるということにほかならず、「もの」にならないと、世間に認知され、広がることはありません。そのため、大前提として「もの」がきちんと確立しなければ、その先の「こと」はないということです。

 ちなみに、鍼灸でいう「もの」は技術であり、その技術の裏打ちとなる診断システムも「もの」に含まれると考えます。しかし、鍼灸における「もの」である診断システムも、それに付随する治療技術も、多様化しすぎて統一されていません。多様であるはずが、患者さんにとってはどの診断・治療を受けようとも鍼灸という同じカテゴリーになってしまいます。言ってしまえば、効果のある治療も、ない治療もすべて同じ鍼灸として見られてしまうのです。そのため、鍼灸の価値を世の中に広めていくためには、鍼灸という診断を含めた基本となるシステムを1本化することで再ブランディングし、鍼灸を信頼あるものに格上げすることが必要だと考えます。その上ではじめて鍼灸技術を「もの」として売ることになるのだと思います。そのためには、鍼灸の「もの」とは何であるのかをもっときちんと設計することが大切であると思います。

 現時点では、多くの国民にとっての鍼灸は「鍼・灸」という道具のイメージが強く、そこには患者を診るという診断や世界観は含まれていません。お薬と同じように、治療の手段に過ぎないのです。しかし、手段としての治療では単なる道具としての役割しかありません、道具としての役割の先には利便性と認知のしやすさとを引き換えに価格競争が待っているでしょう。しかも、道具である場合、認知のしやすさは重要な部分ですが、痛いところに鍼をするのであればわかりやすい一方で、痛くないところに鍼をする際は、理解できない人にとっては意味が分からないため、道具としての役割さえ理解してもらえません。なぜなら効果が感じられないからです。そのため、鍼灸を道具としてもっとわかりやすい商品(もの)にするか、または診断する治療概念、さらには診察の過程を含めて世界観を商品(もの)にするかのどちらにするかが大切です。なお、世界観を商品化する場合は、誰でも簡単に同じような診断・治療が再現できないと商品(もの)にはならないため、アプリなどを通じた鍼灸のデジタル化、アルゴリズム化という作業が必要になります。じつは、鍼灸を「もの」にしないという選択も我々には可能です。つまり、商品としての価値を高めようとしないという道です。そうなれば、国民の多くが利用する医療としての鍼灸は消失することとなり、好きな人だけが利用する「伝統芸能」になっていくと思われます。鍼灸が「もの」として、世間にどんなイメージを持ってもらうかというブランディングを行わなければ、世間一般に知られる医療にはならず、一部のファンが好む伝統芸能になってしまうわけです、これが「もの」しかできないことなのだと思います。そして、「もの」としての鍼灸が確立したときにはじめて、その応用系としての技術や「こと」を売ることができるのだと考えています。その意味で、鍼灸が「もの」として、わかりやすい局所治療というツールになるのか、診断や世界観を含めたシステムとしての鍼灸になるのか、システムとなる場合にはどの診断アルゴリズムを利用するのか、はたまた「もの」にはならずに伝統芸能になるのか、コロナによる時代変化と第4次産業革命の波を考えると、我々が決断するまでに残された時間はそう長くはないのです。

明治国際医療大学
養生学寄付講座
伊藤和憲