鍼灸師は何を社会に提供するのか~もの売りからこと売りへ~

更新日:2020/11/25

第3回:「こと」にしかできないことは何か?

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 日本鍼灸は様々な流派の診察や手技などが独自の発展をしてきましたが、医学におけるエビデンス化の流れ、社会のICT化に伴う技術進歩の流れから、さらには様々な種類の治療院が過剰になってきた時代、鍼灸も「こと売り」へと変化することが求められています。そして「もの」としての鍼灸を確立させて初めて、「こと」を売ることができることを前回確認しました。今回は「もの」の先である、「こと」にしかできないことは何かを考えてみたいと思います。

 鍼灸の場合、「もの」とは提供する技術を指すと考えています。そのため、ある程度同じ質のものを提供しないと、多くの人には鍼灸という「もの」は認知してもらえず、「もの」から生まれる「こと」、言い方を変えれば「もの」から生まれる感動体験を生み出すことはできません。

 そもそも感動体験は、予測を上回ったときに起こる体験であり、「もの」として確立していない限り予測ができないため、それを上回る感動体験とは何かを設計することすらできません。そのため、「もの」としての鍼灸が決まっていない以上、「こと」を考えるには少し時間がかかりそうです。ただ、治療の効果を「もの」としたときに、鍼灸のライバルとなる薬や手術、さらにはヨガやアロマセラピーなどの「もの」としての役割はある程度決まっているので、それを超える感動体験、言い方を変えれば顧客満足度を設計すればよいということになります。

 まず、お薬や手術は、治療成績で勝負していることから、この治療成績を超えることが満足度を高める方策となります。そうなると、お薬や手術を超える効果を示すか、お薬や手術では満足が得られない疾患、慢性疾患や難病を対象にするしかありません。しかし、お薬や手術以上に効果を示す場合は、効果だけでなく対費用効果や信頼性、利便性などの要素が加味されるため、保険診療で行われているお薬や手術を超えるには、対費用効果や信頼の部分を含んだそれ相当の効果を示さなくてはならず、とても難しいと思われます。また、慢性疾患や難病で効果を得るとしても、お薬や手術でも解決しないことを改善するわけですからとても難しく、そうなると効果以外の部分に満足度を設計するしかありません。つまりお薬や手術に「もの」として超えることは難しいわけです。そうなると、親身な対応やお薬ではできない精神的な安心感や満足感などの「こと」として売るしかありません。ヨガやアロマセラピーでも上記の内容は同じことです。しかし、ヨガやアロマセラピーは鍼灸のように医療に寄っていないが故に、治療効果として薬や手術を超えることは難しく、精神的な安心感や満足感という「こと」の部分に多くの場合価値を見出しています。さらに、ヨガやアロマセラピーは、薬に頼らない自然な治療、それを受けることによる健康意識の高さとそれに伴う自己肯定感など、治療の枠を超え、身体に投資している自己承認欲求や、健康な体を手に入れてきれいになるという自己実現欲求という「こと」に焦点を絞っています。鍼灸は道具という「もの」と認識している人が多いため、自然な治療というイメージはない上、病気を治すという医療に寄ったせいで、マイナスをゼロに戻す役割はあっても、プラスにするという自己投資的な意味は少なく、鍼灸を行うということは身体が悪いというイメージで、身体の負債を返済しているというイメージであることから自己肯定感を高めることもできません。

 このように、鍼灸の対する業界のブランド戦略から、予想を上回る効果を慢性疾患や難病で得るという「もの」を売るデザインなので、「こと」を売るのがとても難しい設計になっています。そのため、鍼灸の「こと」を売るには、まずは「もの」としての鍼灸を薬や手術を超える道具として確立していくのか、はたまた病気の回復の先にある健康にまで焦点を当て、道具ではなく概念やシステムとしての鍼灸を確立するのかを決めないと、その上で「こと」を決めることができないのです。

明治国際医療大学
養生学寄付講座
伊藤和憲