鍼灸師は何を社会に提供するのか~もの売りからこと売りへ~

更新日:2020/09/10

第1回:「もの」と「こと」の違いを考える

20200910

 商売では何かを提供する代わりに、その対価としてお金を頂くことが一般的です。そのため、その提供されたものに価値があるかどうか、あるいは価値があると判断されるかどうか、言い換えれば需要と供給のバランスで値段が変動します。広い意味でいえば、このことは医療でも同じで、病気の診断や治療を提供する代わりに対価を頂くというのが医療の基本的なシステムです。ほかの商売と違う特徴として、保険診療では値段が一律に決まっていることが挙げられます。どこに行っても同じ診察と治療が受けられ、それにたいする対価が同じなので、それ以外の部分である対応やサービスに差別化を図ることで需要を高めています。医療がサービス業ともいわれるのは、こうしたことも理由の一つかもしれません。

 一方、鍼灸は医療とは少し異なり、一律の診断や治療を提供しているわけではありません。先生により病気の見立ても治療も異なることが多いため、その診断や治療という部分、つまり「もの」に価値をつけて、提供してきました。ところが今「もの」としての診断や治療の価値は少しずつ、変化しようとしています。例えば今、時代の変化に対応するために鍼灸も医療に加わろうという動きがあります。医療にはエビデンスが重要ですが、エビデンスとは決まった診察の上、決まった治療をした際の効果であるため、エビデンスを集めるということは、ある疾患の治療を画一的にするということにつながります。そうすると今まで売りにしてきた鍼灸師独自の診断や治療という部分では、差別化がしにくくなります。

 さらに社会のICT化に伴い、医療を取り巻く環境も大きく変化しています。例えば、ウエアラブルなどのデバイスにより生体情報を得て診断する方法や、アプリを通じで問診をすることで診断する方法は、AIの導入により近年急速に発展していますが、これらを利用するためには診断アルゴリズムを作成する必要があります。しかし、そのアルゴリズムを元に診察すれば、診断結果は同じになり、いつでもどこでも同じ診断を受けることができるようになります。つまりこれも診察の画一化が進む一因です。さらに、新型コロナウイルスの影響でオンライン化の流れが加速すると、診察だけでなく治療そのものの一部を家庭で行えるようになり、今まで売りとしていた技術を直接提供できない可能性もあります。そうなると、技術でも差別化できないため、診断や技術以外の別のものを売らなければなりません。世の中を見渡せば、良いものが当たり前でものがあふれている時代、良いものを作っても売れないというのも当たり前のことです。鍼灸院はコンビニの数以上に多くなりました。さらには鍼灸以外にもヨガやアロマセラピーなど様々な同業者が台頭する、言い換えればもの売りが増え、過剰になった状態では、今までの鍼灸師モデル(ビジネスモデル)には限界が来ているのだと思います。そのため、「良いものの提供」にとどまらず、そこに何かを変えるか加えなければいけない時代になってきたのだと思います。

 日本鍼灸は様々な流派の診察や手技などが独自の発展してきました。そしてそれらの独自性をビジネスとしての売りにするとともに、名人と呼ばれる人物を数多く輩出してきました。しかし、医学におけるエビデンス化の流れ、社会のICT化に伴う技術進歩の流れから、さらには様々な種類の治療院が過剰になってきた流れから、今までのような様々な診察・治療法を売りとする「もの売り」でいつづけるのか、「もの」はある程度同じでも、その「もの」に別の価値を与える「こと売り」になるのか、その場合「こと」とは何なのかについて、真剣に考えないといけない時期にきたのだと思います。

明治国際医療大学
養生学寄付講座
伊藤和憲