「この物語はフィクションに近いです。」

更新日:2020/10/01

第一回 ~君は柳谷素霊を知っているか?~

20201001

 「知っているわけないだろう」ということを前提に筆を進めようと思います。まずは、柳谷素霊とは何者かというところからスタートします。柳谷素霊の本名は清助、素霊は鍼灸師としてのペンネームみたいなものです。素霊という名前は、鍼灸師なら誰でもご存じ(だと思いますけど)の「黄帝内経 素問・霊枢」から一文字ずつ取った、素と霊を合わせた号(本名とは別に使用する名称)です。「鍼灸医学は素問・霊枢が原点であり、その素問・霊枢に学び、片時も忘れず大切にする」という想いから素霊という号を付けたそうです。いかにも古典鍼灸家らしい名前ですが、けっこうエモい名前の付け方だと思いませんか。しかもこの名を名乗ったのが21歳の時という早熟ぶり。もはや現代では厨二病と言って差し支えないでしょう。

 柳谷は昭和初期の激動の時代において、古典研究とともに鍼灸臨床・鍼灸師教育・業界内活動・執筆・鍼灸の科学化に向けて奔走したカリスマです(でも知っている人は少ないw)。

 柳谷の最も特筆すべきものはその思考の柔軟さです。本人が言ったわけではないらしいのに本人が言ったとされてしまっている「古典に還れ」という名言を旗印に、現代に至る古典鍼灸・伝統鍼灸の父といえる存在になっている柳谷ですが、その著書や論説のなかから昭和初期当時の科学的な鍼灸治療や解剖学に基づいた鍼灸治療も実践していた様子をうかがい知ることができます。柳谷の残した60余りの著書と500を超える雑誌投稿から見えるものは、時代とともに変化する思考と治療方式、鍼灸の現実、社会から見た鍼灸、その当時の西洋医学から見た鍼灸、鍼灸院経営など、現代でも十分通用するような問題意識で、ずいぶん先を見据えていたといえます。そして、ウソかホントかわからない一見奇跡とも思える鍼灸臨床の秘訣とカラクリ、数々の逸話を残しました。柳谷の周りにはいつも多くの人々が集まり、何かを議論し、何かを進めていました。漢方医である、矢数道明、大塚敬節、安西安周、木村長久、石野信安、丸山昌朗、間中喜雄、工藤訓正、龍野一雄。薬剤師で薬学者の清水藤太郎。医史学者の石原保秀。柳谷門下であり後に経絡治療を打ち立てる主役となる岡部素道、井上恵理。柳谷に代わる時代のキーマンとなり、経絡治療の普及を推し進める竹山晋一郎。柳谷の下に集い鍼灸の学びを深めていく、小野文恵、本間祥白。盟友の鍼職人・神戸源蔵。柳谷の刊行した雑誌「蓬松」を引き継ぎ「医道の日本」を創設した戸部宗七郎。終生のライバル、代田文誌。こうした人物とともに一時代を歩み「古典鍼灸の父」となっていく軌跡と、時代の寵児から前時代の大家となり次第に主役でなくなっていく、柳谷素霊のジェットコースターのような人生を綴っていく予定です。

横山 奨(よこやま しょう)
・アイム鍼灸院総院長
・医療法人社団ひのき会 証クリニック附属鍼灸臨床研究所所長
・日本伝統鍼灸学会理事,編集部長
・東洋鍼灸専門学校卒
・鍼灸学修士(明治国際医療大学)
小学校から大学まで16年間スピードスケートを続けるも運動神経障害により引退。その際に「自分の身体が思うようにならないことほどつらいことはない。」と感じ、鍼灸師の資格取得を決意。専門は現代の日本伝統鍼灸に関する流派研究。現在は臨床、経営、教育、研究と多方面に活動中。