本日のお品書き

更新日:2020/06/22

鍼灸師という仕事~クラシックでクリエイティブ 三棹

20200622

 これまで、「鍼灸師という仕事〜クラシックでクリエイティブ」と題して、動機や目的の違い(という個性)を尊重した上で、お互いが認め繋がり合う時代の到来を予感しているという手記を寄稿させていただきました。
 『ダイヤ工業 しんきゅう新聞』を読んでいらっしゃる方々多くが「中根ってだれ?」や「どうしてこの人が寄稿してるの?」と思っていらっしゃると思うので、今回は自己紹介を。

 今年でもう50歳、鍼灸師歴はようやく24年になります。若かりし頃に受験戦争に巻き込まれて中高一貫の進学校に入学するも、当時一世を風靡した名曲「卒業」を歌う尾崎豊に感化されてしまい、「おとなの都合に合わせて生きることを止めるんだ!」と意気込んで、高校一年生で早期卒業(中退とはいわないw)をキメたという痛い青春時代。その後は親元を離れて全寮制の高校で365日×3年を遊んで過ごし、某芸大を受験するも「頼むから普通の人生を歩んでくれ」と両親に懇願されて、しぶしぶ普通の経営学部へ…。

 まっとうな人生のルートに戻ったのも束の間、高校時代の友人(お父上様が故・井上恵理先生の最後の内弟子だったことをのちに知る)が「鍼灸、おもしろいよ〜」というものだから、再度の早期卒業を経て明治鍼灸大学(現・明治国際医療大学)へ再入学。
 ところが「鍼灸のなんたるか?」も「陰陽五行思想」も知らないまま入学してしまったので、講義に耳が傾かない。そのうえ「大学はサボるもの」という正しい大学生活だけは身に付いていたし、試験期間中に始まった「機動戦士ガンダム」の深夜放送に集中しすぎてしまい、見事に1年目で留年するという始末。

 その後は気を取り直して、苦手だった東洋医学のゼミへ自ら飛び込み、なんとかアウトラインだけは掴めそうになったタイミングで卒業。ご縁があって経絡治療の大家のもとで内弟子を経験させて頂いた後に、「臨床経験を学生に伝えたい!」という想いを胸に教員養成科で学び、開業鍼灸師と非常勤講師の二足のワラジを履くこととなりました。
 学校が大嫌いだったはずなのに、気が付けば長学歴どころか、教員として教鞭を執らせていただくという思いも寄らない運命。特に能力が突出しているわけではありませんが、若い頃から「損得勘定ではなく、心の声に従って生きる」ということだけは守って生きてきました。逆を返せばワガママに生きているということなので、つくづく多くの方々とのご縁と温情に支えて頂いてきたのだと感謝するばかり。

 人生にはスポットライトが当たる時もあれば、小さな豆電球で手元を照らすだけの時もあるし、自分だけ置いてきぼりになっているような錯覚に陥る時もあります。浮き沈みの波に大小はあるけれど、自分に訪れている波は自分でしか乗り越えることはできなくて、他人は他人なりに波を乗り越えるのに大変な想いをしているはずなのです。だから自分の足元だけを見て、自分の歩幅で歩けば良いと確信しています。
 この「しんきゅう新聞」に寄稿させて頂いているのも、そんな波の中で巡り合わせたご縁の一つ。もう50歳になるけれど、まだ心の片隅で「僕が僕であるために」を歌う尾崎の気配を感じられているうちは、「人生なんてこんなもの」とか「これが正解です」だなんて達観した台詞は言えそうにありません。稚拙な内容かもしれませんが、しばしボクとの回り道にお付き合い頂ければ幸いです。

鍼灸Meridian烏丸
中根はじめ