本日のお品書き

更新日:2020/04/27

鍼灸師という仕事~クラシックでクリエイティブ(前編)

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 産業革命以降300年に渡って僕たちの暮らしを豊かにしてきた資本主義は、事業の規模と利益を拡大させ続け、投資する資本家が利益の多くを得ることが正義でした。ところがここに来て環境負荷や格差社会の問題が露呈し、多くの人たちが従来のシステムの限界を直感し始めています。
20年前に21世紀を迎え、新しい資本主義のカタチとして脚光を浴びたのがリチャード・フロリダによる『クリエイティブ資本論』。ここでは、「意義のある新しい形態を作り出す人」が「才能・技術・寛容性」を備えたコミュニティと繋がり、「豊かな暮らしを資本(=事業をするための財産)とすること」が新しい資本主義だと提唱しています。
実践するためのポイントは「Feel-goodな暮らし」にあり、価値観を共有することができるコミュニティと繋がりながら、ムリをしないペースで仕事とプライベートを主体的に育んでいくというもの。何かを犠牲にして他者と競争をするなんて、彼の論からすればナンセンスなわけです。

 2000年に入って間もなく、世界中の経済学者が秋葉原を目指しました。彼らが訪れたのは、当時話題の中心になっていた「メイド喫茶」。もちろん、研究のため。彼らはそこに、新たなビジネスの形を見出したというのです。
仮に「A店」のメイド服はフリルが大きく、「B店」はフリルが小さいとします。メイドに興味のない人にとって、その違いになんの意味もないのですが、一部の愛好家にとっては無視することのできない大きな違いとなり、そこに価値が生まれます。
最初に思いついた人のイノベーティブな着想、マイノリティな愛好家たちと育む小さなコミュニティ、秋葉原という狭い世界の中で「A店」と「B店」が共存する寛容性、彼らはまさにクリエイティブ・クラスだったのです。

 このオタク文化から生まれたビジネスモデルは、日本の伝統に散見されるといいます。日本の伝統文化を代表する茶道には、千利休の子孫から成る三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)があります。各々が独自のスタンスを保ちながら、茶道という文化を後世に伝えようとしています。
各流派による作法の違いは、例えば座る時の両膝を「安定する程度に開ける」・「こぶし2つ分開ける」・「こぶし1つ分開ける」というもの。茶道を習っていない者にとっては気付かないほどの違いですが、お稽古をしている人にとっては間違うことのない重要なポイントです。
茶道だけでなく華道や書道、様々な武道も、様々な流派に分かれています。きっとこれは、メソッド(=方法、手段)ではなく、各々に「道(=道徳的規範により成長目指すこと、中国哲学用語)」があるからこそ、小さくても譲れない違いなのだと思います。

 僕たちの鍼灸業界にも、様々な学会や流派がありますが、主張の違いは主に治療に関する哲学的・理念的な相違に端を発しています。そこには信念がありますから、決して交わることはないし、対立することも少なくありません。「医師は他の医師のことを悪くは言わないけれど、鍼灸師は自分以外の鍼灸師のことを悪く言う」という笑えない笑い話があるほどです。
各々の違いは本当に僅かなもので、世間の人たちからすれば「鍼灸って中国がルーツなんですよね?」という程度の認識しかありません。でも、多様性や個性を育むという意味で、その小さな違いをハッキリさせる時代は必要だったと僕は好意的に捉えているのです。
とはいえ、長年にわたって常態化した構図は、きっと業界外の人たち(特に医師)からすれば奇異に映ることでしょう。「信念対立で生まれるロスが大きいから、一層のことエビデンスの有無で決着を付ければいいんじゃない?」という意見が一定数評価されるのも頷ける話です。客観的評価によって方向性を決められるならば、余計な信念対立を生む必要がありませんものね。

しかし、近年の医療現場では「心のありか」が課題になりつつあります。客観的評価によってアプローチが定められるのであれば、各々の価値観の齟齬を調整する必要がありません。でも、誰の目にも「右」を選択することが正しく思えるのに、当の本人は「左」を選んでしまうという事実があるのです。
人は正論ではなく個人の正義に従って生きているという面倒な側面を持っていて、死生観を伴う医療は、理屈や効率では語りきれないドラマの連続なのです。その本質を理解することが、「鍼灸師という働き方を持続可能にする鍵」なのではないかと考えています。

 東洋哲学によって人という摩訶不思議な存在のココロとカラダを整える仕事は、机上の理論だけで片付けられるほど単純なものではありません。幾つもの時代を超えて2000年以上も続いてきた鍼灸師という業態は、たかだか300年の資本主義によって拡大し続けられるものではないのかもしれません。むしろ、施術者の理念が明確で、そこに共感する患者さんたちが心身のケアのために来院するという小さなコミュニティ構築こそが、普遍的な価値を生むのだろうと僕は確信をしています。

鍼灸Meridian烏丸
中根はじめ